屋嶋城(やしまのき)は、屋島にあった古代山城です。
日本書紀によれば、白村江の戦い(663年)に負けた天智天皇(中大兄皇子)が、唐・新羅軍の侵攻に備えて西日本各地に国土防衛
のために築いた城の一つです。
西暦667年に築かれたとされています。
屋島山上には遺構らしきものが以前からありましたが、2001年に南嶺で城門遺構が発見され、その存在がクローズアップされた。
発掘・復元作業が進められ、平成28年3月に城門跡が公開されました。
屋嶋城は、瀬戸内海を見渡せる島という立地の良さに加え、その独特の地形のため眺望がよく、山頂を囲む断崖が天然の要害として敵の侵入を阻む構造となっています。 |